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百景図よもやまばなし

第73図 油徳利を忘れたのは誰だ?

73ここの解説文に格斎さんは

こんな歌をのせている。

「夕立や 俵が駆ける 三軒屋 」

(三軒屋 とはここの地名。家が三軒

あったことによる)

その付け句といって

「エゝくっそふ 分銅屋に油徳利忘れた」

というのものせている。雨にたたられるわ、忘れ物はするわで、踏んだり蹴ったりということなのである。

面白いのは、百景図の中に、お店屋さんの名前が出てくるのはこの「分銅屋」さんだけなのである。

分銅屋さんは、享保二年( 1717)から続く御用商人のお店。びんつけ油や蝋燭を売る店だ。

今でも本町で店を開いている。今の御当主は21代目である。

その方の説によると「この忘れ物の主は、幼少期の西周(にしあまね)先生ですよ」となる。

成程一理ある。明治の偉大な頭脳であった西周は、子供の頃お使いに行くのに、

片手に油徳利、片手に本を持ち、右足はぼっくり左足は下駄という出で立ち。

「西家にはとんだ阿呆が生まれた」と近所のお笑いものだったとか。

それは今でも有名な逸話になっている。その話と丁度つじつまが合うのだ。

読書に没頭した少年周は、肝心の油徳利を店に忘れてそのまま帰ってしまった。

この人が後に「万国公法」を訳し、学校制度、陸軍制度のもとを創り、哲学を我が国にもたらすなど、

日本の近代化に大いに活躍することになる。我々が日常何気なく使っている「主観」「客観」「理性」

「感性」「科学」「芸術」などの言葉はみんな西周が創り出したものである。

言葉の大恩人と言われる所以である。

津和野に来られたら、西周の生家やこの分銅屋さんは是非押えておきたいスポットの一つである。

分銅屋さんは暖簾に、家紋である分銅が描かれているので一目でわかる。

因みに分銅とは正確に測るものという意味で、

この店は正確である、確かである、正直である、信用が置ける、そういう意味を込めた家紋ということだ。