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百景図よもやまばなし
第98図 菖蒲は尚武
行事である。
この日は五節句の一つ端午の節句で、
将軍家でも重大行事の日であった。
地方の大名もそれに準じて
お祝い事をしていたようである。
端午の節句は菖蒲の節句ともいう。「菖蒲」は「尚武(武をたっとぶ)」に通じるということで、
軍旗や馬印の幟をはためかせて、殿様の武運長久を祝っていたのだ。
旗奉行を先頭に、軍旗を背にした足軽隊が緊張の面持ちで続いている。
実際は旗一本に綱持ちも合わせて三人付いたようだが、二人は省略されている。
笠や旗の上に赤い地に丸一印。このマークに見覚えはないだろうか?
実は32図、46図、52図にも出ている。行列の先頭の次に鞭を持った二人の伊賀者。
その二人の羽織についているマークがこれだ。
〇に横一。漢字に直せば朝日の「日」という字になる。
これこそが、玆監候直属の親衛隊「朝日組」の印なのだ。
家臣の中でも特に文武に優れ、品行方正なる人材を充てたとか。
風雲急を告げるとき、即座に動かせる兵隊が藩主には必要だったのである。
この称号をもらえることは、藩士にとっては非常に名誉な事だったに違いない。
さてこの絵、藩主やそれに控える重臣たちが、一段高いところから軍旗の行進を眺めている。
小さいことだが、殿様の刀持ち。ちゃんと袱紗に巻いて鞘を持っている。
鞘に漆が塗ってあるため、手の脂や指紋が付きやすいためだ。格斎さんも正確に描写している。
気になるのは、旗持ちの足軽隊の持っている杖のようなもの、あれは一体何だろうか?
綱を持った二人がついていたということは、最終的にはあの棒を立てて、旗を括り付けておくのだろうか?
知る人がいたら教えて欲しい物の一つだ。
さて、この端午の節句の行事。当初は武士のものだったが、だんだん庶民の間に広まり、
鯉のぼりをあげ、男の子の健やかな成長を願う行事となり、果ては「こどもの日」となってしまった。
付記 朝日組のマークであるが、これは初代玆矩公の時、日輪社に祈願をした時用いた
と他の資料に出ていた。それ以来亀井家の替紋(別紋)として使われていた。
ということで、日輪社の日の意味が濃い。勿論定紋は角立てよつ目結紋である。