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百景図よもやまばなし
第43図 今はない幸榮寺
公園の敷地に幸榮寺という
寺があったらしい。
1387年ごろにできたとある
のでそのころは神仏習合。
南無八幡大菩薩、神社の中に寺があるのは
当たり前の時代である。お坊さんが八幡宮の管理人という今では考えられない世界も、
昔は普通なのである。
絵をみると立派な寺である。式台の玄関ではなかろうか。
乗り物を寄せれば殿様は履物を履くこともなく、土を踏むことなく、そのまま寺に入ることができる。
毎月6日には御中供を従え御参詣し、左の蔵にある徳川家累代の霊にお参りしたということだ。
当時どこの大名も、お国でそんなことをしていたのだろうか。(隣の長州は考えられないなー)
蔵の前の百日紅の木は、唾で字を書くと、肉をまいてその字が現れたと町図に書いてあった。
格斎さんが唾で字を書いている姿を想像するのも、この絵の面白さだ。
だがこの立派な寺は、今は影も形もなくなっている。さびしい限りだ。