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百景図よもやまばなし

第48図 喜時雨瓦釜の跡

48喜時雨(きじゅう)には、

瓦を焼く窯があった。

津和野が嘉永六年に大火事があった後

フル回転で瓦を焼いたのである。

喜時雨はもともと焼き物にいい土が

とれ、古くから焼き物をしていたに

違いない。その証拠に元武社の地には、埴安神社があったということだ。

埴安様とは焼き物の神様である。

ということで先日この図を訪ねて窯を探しに出かけた。

それらしき場所を見つけたが窯跡が見当たらない。土地の人に聞くと

「大きな松はあったがのー。いつか倒れたいの」と教えていただいたが

肝心の窯はご存じなかった。がっかりして元武社に向かった。が、これが良かった。

地図の看板があったのだ。それで先ほど行ったところの山裾にある、ということが分かったのだ。

慌ててひっくり返し山に分け入った。ちょっとした斜面を登ると、

あった。

焼き窯の石組みがしっかりと残っていた。やぶ蚊に食われながらやっと48図に巡り逢えた。

これがその時の写真。

登り窯の壁になった石組みが土の下から覗いていた。そしてくすんだ色の赤瓦の破片も。

確かにここに人がいて一生懸命瓦を焼いていたのだ。

津和野は大火事の教訓から、藁屋根や板葺屋根を瓦屋根に変える必要があった。

瓦窯はここだけでなくあちこちに存在していたことだろう。

秋が深まって、やぶ蚊がいなくなったらもう一度ゆっくり写真を撮って帰りたい。

plopoiu