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百景図よもやまばなし

第61図 村人の背中

61山陰の小京都津和野と言われているの

は、津和野に京都の文化の香りがする

からである。鷺舞はもともと京都の

祇園祭で踊られていたものが、室町

時代に津和野に伝わったものである。

これなどは京都の影響の筆頭にあげられる

ものである。そういう意味では、この川の名前もまた、桂川という京都の風情を匂わせている。

しかし、京都とは違い小さな谷川である。

昔はこの水を利用し、米を搗く水車小屋が幾つも建っていたようだ。

ここの谷川は、大した氾濫もなく水を引くにはもってこいの場所だったに違いない。

明治大正以降新しい動力に替わり、こうした田園風景は一掃した。

ギイーギイー ガッタン コットンといった長閑な音は、もう津和野の町では聞かれない。

ここに三人の村人らしき人物が描かれている。どの絵を見ても村人はなぜか背中を曲げている。

稲作の仕事でこうなってしまうのか、はたまたこんな歩き方をしなくてはならなかったのか?

背中を伸ばして歩く武士とは対照的である。