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百景図よもやまばなし

第65図 横堀米廩(こめぐら)は鷗外家の前に

65「門の前はお濠で、

向こう岸は上の御蔵である。

この辺は屋敷町で、

春になっても柳も見え

ねば桜も見えない。

内の塀の上から真っ赤な

椿の花が見えて、御米蔵の側の臭橘(からたち)の薄緑の芽の吹いているのが見えるばかりである。」

これは鷗外の自叙伝的な作品「ヰタ・セクスアリス」の一文である。

第65図のこの横堀米廩こそ、その一文に書かれている風景ということになる。

鷗外の生家はまさにこの横堀の前にあるからである。

格斎さんがこの絵を描かいているのが、明治43年頃だとすると、

鷗外が舞姫を世に出したのが23年なので、鷗外はこのころは押しも押されぬ有名人。

格斎さんはそのことを意識して描いていたのだろうか?どうだろうか?

この絵にはたくさんの蓮の花が咲いているが、鷗外はそのことには全く触れていない。

あまり外に出ず、本ばかり読んでいたせいに違いない。

この横堀、先には縦に900メートルぐらい続いて津和野川に注ぐ。藩邸を守る

外堀と言われているが、表向きはこの辺りが湿地帯であったため、堀を掘って

水はけを良くし、水田を開くのが目的であったらしい。

幕府に無許可で行ったため、後でややこしいことになったとか。

幅は約10メートル、深さも約4メートルもあったようである。明治になって土塁の土で埋められ、

今は道路になっている。時々道路工事などで掘った時、絵に描いてある松の葉や松ぼっくりが

出るらしい。道路に沿って走っている水路は堀の名残でもある。

鷗外生家に来られたら、是非この絵と周りの景色を比べていただきたい。