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センター日記

【まち歩き】貢子の君永明寺コース レポート

 みなさん、ごきげんよう。
 津和野町はこのところ朝晩冷えてきて、お出かけには薄手の上着が必要なほどの気候になりました。殿町の銀杏も色づきはじめ、秋の気配が漂いはじめました。

 さて、このほど日本遺産センター開館1周年記念として、10月8日(土)に「歴史家安藤優一郎と歩く 亀井茲監正室 貢子の君 永明寺参詣コース」を開催しました。その時の模様をご紹介いたします。

コースのストーリー

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 「貢子の君 永明寺参詣コース」は、この秋に新設したまち歩きコースです。
  嘉楽園(藩侯邸) → 弥栄神社 → 殿町 → 永明寺 → 津和野町日本遺産センター
 巡るところは定番スポットですが、新たなストーリーで紡いでコースとしました。

12-%e6%b4%a5%e5%92%8c%e9%87%8e%e8%97%a9%e4%be%af%e9%a4%a8%e5%89%8d そのストーリーの主人公は、最後の津和野藩主・亀井茲監公の正室である貢子の君(みつこのきみ)です。貢子の君は、讃州高松の松平家から亀井家に嫁いで来られたご正室です。
 江戸時代は正室と嫡子は、江戸に住まなければならなかったことはご存知でしょうか? 例外はあるものの、藩主は1年おきに江戸に参勤した時にしか、正室や嫡子に会えなかったのです。もちろん、人質という意味もありました。

 その制度が緩んだのが文久2年(1862=森鷗外が生まれた年)のことです。正室も嫡子も国許に帰ってよいということになりました。
 貢子の君は1862年の11月に江戸を発ち、翌1863年の正月に津和野に到着しました。

 百景図には、貢子の君が3枚ほど登場します。このことは、津和野百景図が1863年前後の津和野藩の様子を描いていることを示しています。1867年には大政奉還ですから、激動の時期の津和野藩を描いていることになります。貢子の君は、津和野百景図を読み解く、キーパーソンの一人なのです。

 国許にいるご正室の公式行事の一つが、菩提寺である永明寺参詣であり、亀井家墓所へのお参りです。貢子の君の目線で、城下町を歩こう! ということが今回の「まち歩き」のポイントです。

 

 今回は、江戸文化や幕末を専門とする歴史家安藤優一郎先生にナビゲーターとしてご案内いただきました。

 「藩主は毒殺などの危険を避けるために、口に入れるものは持参したか、料理人を帯同するのが通例だった」「行列を組み出かけた永明寺参詣などは半日仕事であるから、永明寺で持参した弁当をたべたはず」などといったアドバイスをもとに、津和野の「おやど弁当」を手配するなど、コースの監修もしていただきました。

フォトレポート

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歴史家の安藤優一郎です。このたびは、監修・ナビゲーターをしていただき、まことにありがとうございました。

藩主が住んだ御殿跡、嘉楽園からスタートです。

藩主が住んだ御殿跡、嘉楽園からスタートです。 ↓ 弥栄神社、殿町通りを経て、百景図を描いた栗本格斎が眠る遍證寺を巡り、貢子の君もお参りした「亀井家墓所」へ。

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亀井家墓所は、歴代藩主およびその家族が眠る。観光案内ではなかなか訪れない場所だけに興味を示されていました。

 

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永明寺では、藩主の気分を味わっていただこうと、御成門をくぐって拝観していただきました。

 

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永明寺の講堂でお食事。精進料理ならぬ、老舗旅館「のれん宿明月」さんによる「おやど弁当」と芋煮をいただきました。

 

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定点ガイドさんによる、永明寺の案内。森鷗外のお墓もお参りしました。

 

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ゴールは津和野町日本遺産センターです。このまち歩きでは、初めてご参加された方が多く、ゴール地点で百景図の全容がわかったという方も多かったかもしれません。